投稿者: hacheworks30

  • 個人経営のカフェは地獄?パワハラと借金300万で絶望した私のリアルな体験談

    導入

    今日もオーナーの機嫌をうかがいながら、サービス残業で仕込みをしていないでしょうか。 「大好きなはずの仕事なのに、なぜこんなに苦しいんだろう」——そう感じているなら、この記事はきっとあなたのために書きました。

    私もかつて、大好きだったコーヒーと料理を、本気で嫌いになりかけた人間の一人です。

    Fラン大学を卒業して信用金庫に就職し、営業のノルマに押しつぶされて3年で退職。そこから「好きなことを仕事にしよう」と飲食の世界に飛び込みました。けれど、その先に待っていたのは、想像していたキラキラした世界とはまったく違う現実でした。

    この記事では、私が個人経営の飲食店で経験した挫折と絶望、そしてそこから抜け出すまでの過程を、できるだけ正直にお話しします。

    第1章:憧れと現実のギャップ

    信用金庫を辞めたあと、学生時代のアルバイト経験から「飲食業界、特にコーヒーが好きだ」という気持ちを追いかけることにしました。

    けれど、ゼロから学ぶには専門知識が必要です。社会人向けの専門学校に1年間通うことを決め、週3回は学校、残りはアルバイトという生活を送りました。

    正直に言うと、この決断には大きな代償がありました。入学金や生活費で預金を使い果たし、学費のためにローンを組むことになったのです。今振り返れば、「もう少し考えて行動すればよかった」という後悔が今でも残っています。

    学校を卒業したあと、エスプレッソ専門店に就職しました。コーヒー豆の焙煎、ドリップやエスプレッソの抽出、ラテアート、そして販売まで、コーヒーに関わるすべてを経験できたのは大きな財産です。

    けれど現実は甘くありませんでした。社長のパワーハラスメントに加え、コロナ禍というかつてない逆風。それでも3年間、歯を食いしばって働き続けました。

    第2章:限界と決断

    心と体が限界を迎えたとき、私は退職を決意しました。しかも、退職の際には「コーヒー業界には関わらない」という誓約書まで交わすことになったのです。

    好きで選んだはずの業界から、事実上の「追放」を言い渡されたようなものでした。

    そこから、失業保険をもらいながら、心と体を回復させるために父親の故郷である鹿児島へ帰郷しました。

    何もかもがうまくいかなかった時期。何をする気力も湧かず、ただ時間だけが過ぎていく日々。もしあなたが今、同じような無力感の中にいるとしても、それは決しておかしなことではありません。休むことは、逃げることではなく、次に進むための必要な準備期間なのだと、今なら分かります。

    第3章:「今の厨房がすべてじゃない」という気づき

    心身が少し回復してきたころ、再び転職活動を始めました。金融業界から飲食業界へ転身したという少し変わった経歴が目に留まり、新規オープンのカフェへスカウトされることになったのです。

    もともとはドリンク担当として入社する予定でしたが、調理師が足りず、自分自身も調理を任されることに。そこで出会ったのが、有名ホテルで料理長を経験したフレンチのシェフでした。

    30歳を過ぎてから、改めてフレンチ料理の基礎を1から学び直す。その経験は、それまでの挫折や回り道があったからこそ得られたものだったと、今は感じています。

    「今の厨房がすべてじゃない」——一つの職場、一つの業界でうまくいかなかったとしても、料理と関わり続ける道は、他にもきっとあります。

    結び

    信用金庫での挫折、専門学校での学び直し、パワハラと誓約書による業界からの「追放」、そして鹿児島での療養。ここまでの道のりは、決して褒められたものではないかもしれません。

    けれど、この一つひとつの経験があったからこそ、今の私があります。

    次回は、私が飲食の最前線から「給食業界(老人ホームなどの施設運営)」という全く別の世界へ移って感じた、給料面でのリアルな変化と、それを補って余りある精神的な救いについて、包み隠さずお話しします。

    もし今、個人店での働き方に限界を感じているなら、次の記事もぜひ読んでみてください。